スポーツ

西川佳明の現在|PL学園のエース、プロ野球の活躍と引退後に結婚




1981年の第53回選抜高等学校野球大会で投手として5試合45回を一人で投げ切り、
打者としても活躍した元プロ野球選手西川佳明さん。
第53回選抜高等学校野球大会の決勝戦ではサヨナラヒットを打ち逆転優勝に導いています。

西川佳明さんのプロフィール、経歴、引退後から現在はどのような仕事をしているのか紹介します。

スポンサーリンク




プロフィール

名前:西川佳明(にしかわよしあき)
年齢:54歳
誕生日:1963年7月14日
出身地:大阪府南河内郡太子町
学歴:PL学園高等学校、法政大学
投球・打席:左投左打
ポジション:投手

経歴

西川さんは小学校時代から東住吉のリトルリーグで、左腕のエースとして活躍していました。
その後、シニアリーグを経てPL学園高校に進学しています。

PL学園時代は2年生の秋には秋季大阪府大会と秋季近畿大会で優勝し、
3年生の春は5試合45回を一人で投げ切り、打者としても打率.353という輝かしい成績を残しました。
特に、決勝の印旛高校戦では、1-0とリードされて迎えた9回裏一死、
代打の選手の同点3塁打が出た直後に、一二塁間を抜くサヨナラヒットを自ら放って逆転優勝を決め、「逆転のPL」の名を高めました。

投手での活躍だけではなく打者としても素晴らしい成績ですね。
また、逆転優勝した時の0.20の防御率は1975年の金属バット採用後の
センバツ優勝投手の中では、1983年の水野雄仁さんに次ぐ第2位の好記録となっているそうです。

高校卒業後、法政大学に進学しています。
1年時の秋季リーグ戦から東京六大学リーグ公式戦に登板し、
2年時の春季立教大学戦から翌年春季の明治大学戦まで16連勝を記録しました。
在学中に3度のリーグ優勝と2度の大学日本一(1984年春と1985年春)に貢献し、
大学通算成績は54試合登板、30勝5敗7完封、防御率1.60、ベストナイン3回受賞しています。
また、ロサンゼルスオリンピック日本代表にも選ばれました。

16連勝という記録は東京六大学野球の最多連勝記録で現在も更新されていません。
16連勝の記録は素晴らしいですね。当時は大活躍されていたのがわかります。

1985年にドラフト1位で南海ホークスへ入団しました。
南海ホークスは現在福岡ソフトバンクホークスに名称を変更しています。

プロ1年目の1986年の開幕は二軍で迎えましたが主力投手陣の不調もあり、
ウエスタン・リーグで先発予定だった4月17日に急遽一軍登録され、阪急西宮球場で行われた対阪急戦にベンチ入りしました。
中継ぎに起用され、プロ初登板で初勝利を飾ります。

スポンサーリンク




1年目の成績はは10勝10敗、防御率3.89(リーグ10位)でした。

2年目は故障が続き9月に二軍落ちしたため7勝10敗、防御率5.59の成績に留まります。

3年目の1988年3月23日のオープン戦ではヤクルト相手にノーヒットノーランを達成しました。
4月9日に前日の試合が雨天中止となり、初の開幕投手を務めることになった西武との開幕戦でも8回途中まで西武打線を無安打に抑えていましたが、清家政和選手に二塁打を打たれてから均衡を破られ、敗戦投手となってしまいます。

4年目も1勝6敗と不調が続きます。

5年目には、阪神に移籍しましたが、在籍2年間で5試合の登板にとどまり1992年限りで現役を引退しました。
プロ歴は合計7年で幕を閉じました。

 

西川さんが現役時代を振り返り残念だった事は

・プロ入り一年目の1986年に新人王を獲得できなかったこと
・10勝しながらも契約更改で年俸が思ったほど上がらなかったことに抵抗しなかったこと
・1988年4月9日の西武との開幕戦で好投しながらも敗戦投手になってしまったこと

上記3つを挙げたそうです。

 

やはりお金というのは大切ですよね。そして運というものも必要なんだなぁ、ということを思いました。
自身が調子が良くても少しの運がないばかりに敗戦投手となっていまう。まぁこれはチームプレーなら仕方ないといえばそうなりますが。

スポンサーリンク




永作芳也の現在|将棋士を引退でなく退会はなぜ?茨城で教室を開講

藤井聡太(ふじいそうた)さんの無敗記録、羽生善治(はぶよしはる)さんの国民栄誉賞受賞、加藤一二三(かとうひふみ)さんのバラエティ出演による人気。 最近は話題が多く、将棋界が賑わっていますよね。 そんな ...

プロ野球引退後から現在までの仕事

プロ野球引退後、西川さんは大阪にてゴルフのアシスタントプロの仕事をしていました。
アシスタントプロをしながらプロゴルファーの資格取得を目指していたそうです。
しかし、プロゴルファーを諦め現在はトラックドライバーの職に就いているそうです。

なぜトラックドライバーなのかという疑問に対し
「野球以外で出来ることがない。手っ取り早く稼ぐにはトラックしかなかった。」
と語っているそうです。

西川さんは45歳に結婚しお子さんもいます。
なので生計を立てるためにトラックドライバーの職に就いたそうです。

ドライバーの仕事は大変と聞きますが休みの日にはお子さんに野球の指導をしているそうです。

まとめ

学生時代に投手、打者としても大活躍し「逆転のPL」の中心人物だった西川さん。
プロ野球入りからは自身の体の故障や、契約金問題、恵まれない試合の流れから7年で引退。
現在は結婚し、子供を授かりトラックドライバーの運転手をしています。

スポーツ選手として輝かしい未来もいいですが、その未来で今の幸せな家庭が築けてはいないのかもしれません。
西川さんの子供は野球をしているので、いつかお父さんを越えるプロ野球選手になるかもしれませんね。




-スポーツ

© 2024 スリーチェック